来青花
永井荷風
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)藤《ふぢ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)花粉風|来《きた》れば
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)たま/\
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藤《ふぢ》山吹《やまぶき》の花早くも散りて、新樹のかげ忽ち小暗《をぐら》く、盛《さかり》久しき躑躅《つゝじ》の花の色も稍うつろひ行く時、松のみどりの長くのびて、金色《こんじき》の花粉風|来《きた》れば烟の如く飛びまがふ。月正に五月に入つて旬日を経たる頃なり。もし花卉《くわき》を愛する人のたま/\わが廃宅に訪来《とひきた》ることあらんか、蝶影《てふえい》片々たる閑庭異様なる花香《くわかう》の脉々として漂へるを知るべし。而して其香気は梅花梨花の高淡なるにあらず、丁香《ていかう》薔薇《しやうび》の清凉なるにもあらず、将又《はたまた》百合の香の重く悩ましきにも似ざれば、人或はこれを以て隣家の厨《くりや》に林檎を焼き蜂蜜を煮詰むる匂の漏来《もれきた》るものとなすべし。此れ便《すなはち》先考|来青《らいせい》山人往年|滬上《こじやう》より携へ帰られし江南の一|奇花《きくわ》、わが初夏の清風に乗じて盛に甘味《かんみ》を帯びたる香気を放てるなり。初め鉢植にてありしを地に下《くだ》してより俄に繁茂し、二十年の今日既に来青《らいせい》閣《かく》の檐辺《えんぺん》に達して秋暑の夕よく斜陽の窓を射るを遮るに至れり。常磐木《ときはぎ》にてその葉は黐木《もち》に似たり。園丁これをオガタマの木と呼べどもわれ未《いまだ》オガタマなるものを知らねば、一日《いちにち》座右《ざう》にありし萩《はぎ》の家《や》先生が辞典を見しに古今集|三木《さんぼく》の一古語にして実物不詳とあり。然《さ》れば園丁の云ふところ亦|遽《にはか》に信ずるに足らず。余|屡《しば/\》先考の詩稿を反復すれども詠吟いまだ一首としてこの花に及べるものを見ず。母に問ふと雖《いへども》また其の名を知るによしなし。此《こゝ》に於てわれ自《みづか》ら名づくるに来青花《らいせいか》の三字を以てしたり。五月薫風簾を動《うごか》し、門外しきりに苗売の声も長閑《のどか》によび行くあり。満庭の樹影|青苔《せいたい》の上によこたはりて清夏の逸興|遽《にはか》に来《きた》るを覚ゆる時、われ年々来青
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