厩川岸《おんまやがし》雨中の景なるべし。
 狂言|稗史《はいし》の作者しばしば男女奇縁を結ぶの仲立に夕立を降らしむ。清元浄瑠璃《きよもとじょうるり》の文句にまた一しきり降る雨に仲を結ぶの神鳴《かみなり》や互にいだき大川の深き契ぞかわしけるとは、その名も夕立と皆人の知るところ。常磐津《ときわづ》浄瑠璃に二代目治助が作とやら鉢の木を夕立の雨やどりにもじりたるものありと知れど未《いまだ》その曲をきく折なきを憾《うら》みとせり。
 一歳《ひととせ》浅草|代地河岸《だいちがし》に仮住居《かりずまい》せし頃の事なり。築地より電車に乗り茅場町《かやばちょう》へ来かかる折から赫々たる炎天俄にかきくもるよと見る間もなく夕立襲い来りぬ。人形町《にんぎょうちょう》を過ぎやがて両国に来《きた》れば大川《おおかわ》の面《おもて》は望湖楼下《ぼうころうか》にあらねど水《みず》天の如し。いつもの日和下駄《ひよりげた》覆きしかど傘持たねば歩みて柳橋《やなぎばし》渡行《わたりゆ》かんすべもなきまま電車の中に腰をかけての雨宿り。浅草橋も後《あと》になし須田町《すだちょう》に来掛る程に雷光|凄《すさま》じく街上に閃きて雷鳴
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