の義務を終《お》へて隠退せる老人等の生活に興味を移さんとす。墻壁《しょうへき》によりて車馬往来の街路と隔離したる庭園の花鳥《かちょう》を見て憂苦の情を忘れんとす。人生は常に二面を有すること天に日月あり時に昼夜あるが如し。活動と進歩の外に静安と休息もまた人生の一面ならずや。われは主張の芸術を捨てて趣味の芸術に赴《おもむ》かんとす。われは現時文壇の趨勢を顧慮せず、国の東西を問はず時の古今《ここん》を論ぜず唯最もわれに近きものを求めてここに安《やすん》ぜんと欲するものなり。伊太利亜未来派の詩人マリネッチが著述は両三年|前《ぜん》われも既にその声名を伝聞《つたえき》きて一読したる事ありき。然れどもその説く所の人生|驀進《ばくしん》の意気余りに豪壮に過ぐるを以てわれは忽ちこれを捨てて顧みざりき。われは戦場に功名の死をなす勇者の覚悟よりも、家《いえ》に残りて孤児を養育する老母と淋しき暖炉の火を焚く老爺《ろうや》の心をば、更に哀れと思へばなり。世を罵《ののし》りて憤死するものよりも、心ならず世に従ひ行くものの胸中に一層の同情なくんばあらず。
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世に立つは苦しかりけり腰屏風《こし
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