はんもん》せざりしに似たり。泰西《たいせい》文学は古今の別なく全く西洋的にして二千年来の因習を負へるわが現在の生活感情に関係なき事あたかも鵬程《ほうてい》九万里の遠きに異《こと》ならず。
 わが身常に健《すこやか》ならず。寒暑共に苦しみ多し。かつて病褥《びょうじょく》にありてダンヌンチオの著作を読むや紙面に横溢する作家の意気甚だ豪壮なるを感じ、もし余にして彼の如き名篇を出さんとせば、芸術の信念を涵養《かんよう》するに先立ちてまづ猛烈なる精力を作り、暁明《ぎょうめい》駿馬《しゅんめ》に鞭打つて山野を跋渉《ばっしょう》するの意気なくんばあらずと思ひ、続いて厩《うまや》に駿馬を養ふ資力と、走るべき広漠たる平野なからざるべからざる事に心付きたり。これよりしてダンヌンチオの著作は余に取りてあたかも炎天の太陽を望むが如くになりぬ。
 西洋近世の芸術は文学はいふも更なり、絵画彫刻音楽に至るまでまた昔日《せきじつ》の如く広漠たる高遠の理想を云々《うんぬん》せず概念の理論を排してひたすら活《い》ける生命《せいめい》の泉を汲まんとす。信仰の動揺より来《きた》りし厭世《えんせい》懐疑の世は過ぎて、生命の力の
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