グネルと写真板のゴオガンのみにては、到底西洋の新芸術を論ずる事能はざるに心付きぬ。日本の文学者の事業は舶来新着の雑誌新聞に出でたる小説評論を読む事のみには限らざるべし。
われは西洋の小説を読みその作家の生活を想像し飜《ひるがえ》つてわが日本の現在を目撃する時常に不可思議の思なくんばあらず。露西亜《ロシア》の小説家ゴルキイは貧しくして家《いえ》なきものなりといふ。然るになほ妻を伴ひて久しく伊太利亜《イタリア》に遊べり。日本人にして家族と共に伊太利亜に遊び得るもの果して幾人かある。ピエール・ロッチは仏国《ふつこく》海軍の士官たり。長崎に泊《はく》して妓女《ぎじょ》に親しみ、この事を小説につづりて文名を世界に馳《は》せしめき。もしロッチをして日本帝国の軍人たらしめんか風紀間題は忽ち彼をして軍職を去らしむるに終りしならん。われかつて『ウィルヘルム・テル』の劇を見たりし時、虐《しいた》げられしといふ瑞西《スィツル》の土民、その暴主と問答する態度の豪気ある事、決してわが佐倉宗五郎《さくらそうごろう》の如き戦々兢々たるの比に非《あら》ざる事を知れり。ハムレットはその叔父を刺す事につきては多く煩悶《
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