び社会に対しても勉《つと》めてピエール・ロッチの如き放浪詩人の心を以てこれを観《み》る事を得たりしが、気候、風土、衣服、食品、住居の類は先づわが肉体を冒《おか》して漸次《ぜんじ》にわが感覚を日本化せしむると共に、当代の政治|並《ならび》に社会の状態は事あるごとに宛然《えんぜん》われをして封建時代にあるの思《おもい》あらしめき。もし封建の語を忌《い》まば封建の美点を去りてその悪弊をのみ保存せし劣等なる平民時代といはんこそ更に妥当なるべけれ。
 空想は漸次に破壊せられぬ。われは或一派の詩人の如く銀座通《ぎんざどおり》の燈火《とうか》を以て直ちにブウルヴァールの賑《にぎわい》に比し帝国劇場を以てオペラになぞらへ日比谷《ひびや》の公園を取りてルュキザンブルに擬《ぎ》するが如き誇張と仮設を喜ぶ事|能《あた》はずなりぬ。そは江戸時代の漢学者が文字《もんじ》の快感よりしてお茶の水を茗渓《めいけい》と呼び新宿《しんじゅく》を甲駅《こうえき》または峡駅《きょうえき》と書したるよりも更に意味なき事たるべし。われは舶来の葡萄酒《ぶどうしゅ》と葉巻の甚《はなはだ》高価なるを知ると共に、蓄音機《ちくおんき》のワ
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