《あが》め祭るべき偶像あまた持つ事を得たればなり。十七世紀以降二十世紀に至る仏蘭西《フランス》文芸史上にその名を掲げられしものは悉《ことごと》くわが神なりけり。然れどもわれは仏蘭西語にて物書く事能はざりしかばやむなく日本語を以てわが感想を述べ綴《つづ》りき。この弱点は忽《たちま》ち怪我《けが》の功名《こうみょう》となりぬ。もしわれにして恣《ほしいまま》に仏蘭西文をものし得たらんには、軽々しくジャン・モレアスを学びて外人にして仏蘭西文壇に出《いづ》るも豈《あに》難《かた》からんやなど、法外の野望を起したらんも知るべからず。然れども幸《さいわい》なる哉《かな》、わが西洋崇拝の詩作は尽《ことごと》く日本文となりて日本の文壇に出づるや、当時文壇の風潮と合致する処ありければ忽《たちま》ち虚名を贏《か》ち得たりき。けだし偶然の事なり。
 歳月|匆々《そうそう》十歳《じっさい》に近し。われ今当時の事を顧《かえりみ》れば茫《ぼう》として夢の如しといはんのみ。如何《いかん》となればわれまた当時の如き感情を以て物を見る事能はざればなり。物あるひは同じかるべきも心は全く然《しか》らず。われは当初日本の風景及
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