はなき此の新大陸の大都の夜《よ》が、如何に余を喜ばし候《さふら》ふかは今更《いまさら》申上《まをしあぐ》るまでもなき事と存じ候。あゝ紐育《ニユーヨーク》は実に驚くべき不夜城に御座侯。日本にては到底想像すべからざる程|明《あかる》く眩《まばゆ》き電燈の魔界に御座候《ござそろ》。
 余は日沈みて夜《よる》来《きた》ると云へば殆ど無意識に家を出《い》で候。街と云はず辻と云はず、劇場、料理店、停車場《ていしやぢやう》、ホテル、舞踏場《ぶたうぢやう》、如何なる所にてもよし、かの燦爛たる燈火の光明世界を見ざる時は寂寥《せきれう》に堪へず、悲哀に堪へず、恰《あたか》も生存《せいぞん》より隔離されたるが如き絶望を感じ申候《まをしそろ》。燈火の色彩は遂に余が生活上の必要物と相成り申候。
 余は本能性に加へて又知識的にこの燈火の色彩を愛し候。血の如くに赤く黄金《こがね》の如くに清く、時には水晶の如くに蒼《あを》きその色その光沢の如何に美妙なる感興を誘《いざな》ひ侯ふか。碧《みどり》深き美人の眼の潤ひも、滴《したゝ》るが如き宝石の光沢も、到底これには及び申さず候。
 余が夢多き青春の眼には、燈火は地上に於け
前へ 次へ
全12ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング