め鑑賞玩味の興に我を忘るる機会がない。平生わたくし達は心|窃《ひそか》にこの事を悲しんでいるので、ここに前時代の遺址たる菊塢が廃園の如何を論じようという心にはなろう筈がない。これが保存の法と恢復の策とを講ずる如きは時代の趨勢に反した事業であるのみならず、又既に其時を逸している。わたくし達は白鬚神社のほとりに車を棄て歩んで園の門に抵《いた》るまでの途すがら、胸中窃に廃園は唯その有るがままの廃園として之をながめたい。そして聊《いささか》たりとも荒涼寂寞の思を味い得たならば望外の幸であろうとなした。
 予め期するところは既に斯くの如くであった。これに対して失意の憾《うら》みの生ずべき筈はない。コールタを流したような真黒な溝の水に沿い、外囲いの間の小径に進入《はい》ると、さすがに若葉の下陰青々として苔の色も鮮かに、漂いくる野薔薇の花の香に虻のむらがり鳴く声が耳立って聞える。小径の片側には園内の地を借りて二階建の俗悪な料理屋がある。その生垣につづいて、傾きかかった門の廡《ひさし》には其文字も半不明となった南畝の※[#「匸<編のつくり」の「戸」に代えて「戸の旧字」、第4水準2−3−48]額《へんが
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