ような心持になる。
 四、五年来、わたくしが郊外を散行するのは、かつて『日和下駄《ひよりげた》』の一書を著《あらわ》した時のように、市街河川の美観を論述するのでもなく、また寺社墳墓を尋ねるためでもない。自分から造出す果敢《はかな》い空想に身を打沈めたいためである。平生《へいぜい》胸底に往来している感想に能《よ》く調和する風景を求めて、瞬間の慰藉《いしゃ》にしたいためである。その何が故に、また何がためであるかは、問詰められても答えたくない。唯おりおり寂寞を追求して止まない一種の慾情を禁じ得ないのだというより外はない。
 この目的のためには市中において放水路の無人境ほど適当した処はない。絶間なき秩父《ちちぶ》おろしに草も木も一方に傾き倒れている戸田橋《とだばし》の両岸の如きは、放水路の風景の中その最《もっとも》荒凉たるものであろう。
 戸田橋から水流に従って北方の堤を行くと、一、二里にして新荒川橋に達する。堤の下の河原に朱塗の寺院が欝然たる松林の間に、青い銅瓦《どうがわら》の屋根を聳《そびや》かしている。この処は、北は川口町《かわぐちまち》、南は赤羽《あかばね》の町が近いので、橋上には自転
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