車と自動車の往復が烈しく、わたくしの散策には適していない。放水路の水と荒川の本流とは新荒川橋下の水門を境《さかい》にして、各堤防を異にし、あるいは遠くなりあるいは近くなりして共に東に向って流れ、江北橋の南に至って再び接近している。
堤の南は尾久《おぐ》から田端《たばた》につづく陋巷《ろうこう》であるが、北岸の堤に沿うては隴畝《ろうほ》と水田が残っていて、茅葺《かやぶき》の農家や、生垣《いけがき》のうつくしい古寺が、竹藪や雑木林《ぞうきばやし》の間に散在している。梅や桃の花がいかにも田舎らしい趣を失わず、能くあたりの風景に調和して見えるのはこのあたりである。小笹に蔽われた道端に、幹の裂けた桜の老樹が二、三株ずつ離れ離れに立っている。わたくしが或日偶然六阿弥陀詣の旧道の一部に行当って、たしかにそれと心付いたのは、この枯れかかった桜の樹齢を考えた後、静に曾遊《そうゆう》の記憶を呼返した故であった。
江北橋の北詰には川口と北千住の間を往復する乗合自動車と、また西新井《にしあらい》の大師《だいし》と王子《おうじ》の間を往復する乗合自動車とが互に行き交《ちが》っている。六阿弥陀と大師堂へ行く道
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