せんよ。」
「まあ、君、何冊あるか調べてから値をつけたまえ。」
「揃っていても駄目ですよ。全くのはなし、他のお客様ならお断りするんですが……。」
「一体いくらだよ。そんな意地の悪いことを言わないで。」
「そうですね。まア弐円がせいぜいという処でしょう。」
わたしと唖々子とは、最初拾円と大きく切出して置けば結局半分より安くなることはあるまいと思っていたので、暫く顔を見合せたまま何とも言う事ができなかった。殊に唖々子はこの夜この事を敢てするに至るまでの良心の苦痛と、途中人目を憚《はばか》りつつ背負って来たその労力とが、合せて僅《わずか》弐円にしかならないと聞いては、がっかりするのも無理はない。口に啣《くわ》えた巻煙草のパイレートに火をつけることも忘れていたが、良久《やや》あって、
「おい。お願だからもうすこし貸してくれ。」
「この次、きっと入れ合せをするよ。」とわたしもともども歎願した。
しかし『通鑑綱目』は二人がそれから半時間あまりも口を揃えて番頭を攻めつけたにかかわらず、結局わずか五拾銭値上げをされたに過ぎなかった。
「これっぱかりじゃ、どうにもならない。」
「これじゃ新宿へ行って
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