達するに従って、漸次《ぜんじ》跡方《あとかた》もなく消滅して行きつつある。明治六年|筋違見附《すじかいみつけ》を取壊してその石材を以て造った彼《か》の眼鏡橋《めがねばし》はそれと同じような形の浅草橋《あさくさばし》と共に、今日は皆鉄橋に架《か》け替えられてしまった。大川端《おおかわばた》なる元柳橋《もとやなぎばし》は水際に立つ柳と諸共《もろとも》全く跡方なく取り払われ、百本杭《ひゃっぽんぐい》はつまらない石垣に改められた。今日東京市中において小林翁の東京名所絵と参照して僅にその当時の光景を保つものを求めたならば、虎の門に残っている旧工学寮の煉瓦造、九段坂上の燈明台《とうみょうだい》、日本銀行前なる常盤橋《ときわばし》その他《た》数箇所に過ぎまい。官衙《かんが》の建築物の如きも明治当初のままなるものは、桜田外《さくらだそと》の参謀本部、神田橋内《かんだばしうち》の印刷局、江戸橋際《えどばしぎわ》の駅逓局《えきていきょく》なぞ指折り数えるほどであろう。
閑地のことからまたしても話が妙な方面へそれてしまった。
しかし閑地と古い都会の追想とはさして無関係のものではない。芝赤羽根《しばあかば
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