結のぬる間はかなし虫の声
大絃《たいげん》はさらすもとひに落《おつ》る雁《かり》
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なぞと吟《ぎん》じたる風流の故事を思浮《おもいうか》べたのであった。この事は晋子《しんし》が俳文集『類柑子《るいこうじ》』の中《うち》北の窓と題された一章に書かれてある。『類柑子』は私の愛読する書物の中の一冊である。
私がまだ中学校へ通っている頃までは東京中には広い閑地が諸処方々にあった。神田三崎町《かんだみさきちょう》の調練場跡《ちょうれんばあと》は人殺《ひとごろし》や首縊《くびくくり》の噂で夕暮からは誰一人通るものもない恐しい処であった。小石川富坂《こいしかわとみざか》の片側は砲兵工廠《ほうへいこうしょう》の火避地《ひよけち》で、樹木の茂った間の凹地《くぼち》には溝《みぞ》が小川のように美しく流れていた。下谷《したや》の佐竹《さたけ》ヶ|原《はら》、芝《しば》の薩摩原《さつまつばら》の如き旧諸侯の屋敷跡はすっかり町になってしまった後でも今だに原の名が残されている。
銀座通に鉄道馬車が通って、数寄屋橋《すきやばし》から幸橋《さいわいばし》を経て虎《とら》の門《もん》に至る
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