は人の家を訪《と》うた時、座敷の床《とこ》の間《ま》にその家伝来の書画を見れば何となく奥床《おくゆか》しく自《おのずか》ら主人に対して敬意を深くする。都会もその活動的ならざる他《た》の一面において極力伝来の古蹟を保存し以てその品位を保《たも》たしめねばならぬ。この点よりして渡船の如きは独《ひと》りわれら一個の偏狭なる退歩趣味からのみこれを論ずべきものではあるまい。
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     第七 路地

 鉄橋と渡船《わたしぶね》との比較からここに思起《おもいおこ》されるのは立派な表通《おもてどおり》の街路に対してその間々に隠れている路地《ろじ》の興味である。擬造西洋館の商店並び立つ表通は丁度電車の往来する鉄橋の趣に等しい。それに反して日陰の薄暗い路地はあたかも渡船の物哀《ものあわれ》にして情味の深きに似ている。式亭三馬《しきていさんば》が戯作《げさく》『浮世床《うきよどこ》』の挿絵に歌川国直《うたがわくになお》が路地口《ろじぐち》のさまを描いた図がある。歌川|豊国《とよくに》はその時代[#ここから割り注]享和二年[#ここで割り注終わり]のあらゆる階級の女の風俗を描いた絵本『時勢粧《
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