》、深川《ふかがわ》の小名木川辺《おなぎがわへん》の川筋には荷足船《にたりぶね》で人を渡す小さな渡場が幾個所もある。
 鉄道の便宜は近世に生れたわれわれの感情から全く羈旅《きりょ》とよぶ純朴なる悲哀の詩情を奪去《うばいさ》った如く、橋梁はまた遠からず近世の都市より渡船なる古めかしい緩《ゆるや》かな情趣を取除いてしまうであろう。今日世界の都会中渡船なる古雅の趣を保存している処は日本の東京のみではあるまいか。米国の都市には汽車を渡す大仕掛けの渡船があるけれど、竹屋の渡しの如く、河水《かわみず》に洗出《あらいだ》された木目《もくめ》の美しい木造《きづく》りの船、樫《かし》の艪《ろ》、竹の棹《さお》を以てする絵の如き渡船はない。私は向島の三囲《みめぐり》や白髭《しらひげ》に新しく橋梁の出来る事を決して悲しむ者ではない。私は唯両国橋の有無《ゆうむ》にかかわらずその上下《かみしも》に今なお渡場が残されてある如く隅田川その他の川筋にいつまでも昔のままの渡船のあらん事を希《こいねが》うのである。
 橋を渡る時|欄干《らんかん》の左右からひろびろした水の流れを見る事を喜ぶものは、更に岸を下《くだ》って水
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