は「薨」]の白地《しらじ》なるぞ屏風《びょうぶ》立てしやうなり。木立《こだち》薄く梅紅葉《うめもみじ》せず、三月の末藤にすがりて回廊に筵《むしろ》を設くるばかり野には心もとまらず……云々《うんぬん》。」そして其角は江戸名所の中《うち》唯ひとつ無疵《むきず》の名作は快晴の富士ばかりだとなした。これ恐らくは江戸の風景に対する最も公平なる批評であろう。江戸の風景堂宇には一として京都奈良に及ぶべきものはない。それにもかかわらずこの都会の風景はこの都会に生れたるものに対して必ず特別の興趣を催させた。それは昔から江戸名所に関する案内記狂歌集絵本の類《たぐい》の夥《おびただ》しく出板《しゅっぱん》されたのを見ても容易に推量する事が出来る。太平の世の武士町人は物見遊山《ものみゆさん》を好んだ。花を愛し、風景を眺め、古蹟を訪《と》う事は即ち風流な最も上品な嗜《たしな》みとして尊ばれていたので、実際にはそれほどの興味を持たないものも、時にはこれを衒《てら》ったに相違ない。江戸の人が最も盛に江戸名所を尋ね歩いたのは私の見る処やはり狂歌全盛の天明《てんめい》以後であったらしい。江戸名所に興味を持つには是非とも
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