江戸軽文学の素養がなくてはならぬ。一歩を進むれば戯作者気質《げさくしゃかたぎ》でなければならぬ。
 この頃《ごろ》私が日和下駄をカラカラ鳴《なら》して再び市中《しちゅう》の散歩を試み初めたのは無論江戸軽文学の感化である事を拒《こば》まない。しかし私の趣味の中《うち》には自《おのずか》らまた近世ヂレッタンチズムの影響も混《まじ》っていよう。千九百五年|巴里《パリー》のアンドレエ・アレエという一新聞記者が社会百般の現象をば芝居でも見る気になってこれを見物して歩いた記事と、また仏国各州の都市古蹟を歩廻《あるきまわ》った印象記とを合せて En《アン》 Flanant《フラアナン》 と題するものを公《おおやけ》にした。その時アンリイ・ボルドオという批評家がこれを機会としてヂレッタンチズムの何たるかを解剖批判した事があった。茲《ここ》にそれを紹介する必要はない。私は唯《ただ》西洋にも市内の散歩を試み、近世的世相と並んで過去の遺物に興味を持った同じような傾向の人がいた事を断《ことわ》って置けばよいのである。アレエは西洋人の事故《ことゆえ》その態度は無論私ほど社会に対して無関心でもなくまた肥遯的《ひと
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