与うるのみか、紅葉《こうよう》の頃は四条派《しじょうは》の絵にあるような景色を見せる。王子《おうじ》の音無川《おとなしがわ》も三河島《みかわしま》の野を潤《うるお》したその末は山谷堀《さんやぼり》となって同じく船を泛《うか》べる。
下水と溝川はその上に架《かか》った汚い木橋《きばし》や、崩れた寺の塀、枯れかかった生垣《いけがき》、または貧しい人家の様《さま》と相対して、しばしば憂鬱なる裏町の光景を組織する。即ち小石川柳町《こいしかわやなぎちょう》の小流《こながれ》の如き、本郷《ほんごう》なる本妙寺坂下《ほんみょじざかした》の溝川の如き、団子坂下《だんござかした》から根津《ねづ》に通ずる藍染川《あいそめがわ》の如き、かかる溝川流るる裏町は大雨《たいう》の降る折といえば必ず雨潦《うりょう》の氾濫に災害を被《こうむ》る処である。溝川が貧民窟に調和する光景の中《うち》、その最も悲惨なる一例を挙げれば麻布の古川橋から三之橋《さんのはし》に至る間の川筋であろう。ぶりき板の破片や腐った屋根板で葺《ふ》いたあばら[#「あばら」に傍点]家《や》は数町に渡って、左右から濁水《だくすい》を挟《さしはさ》ん
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