で互にその傾いた廂《ひさし》を向い合せている。春秋《はるあき》時候の変り目に降りつづく大雨の度《たび》ごとに、芝《しば》と麻布の高台から滝のように落ちて来る濁水は忽ち両岸に氾濫して、あばら家の腐った土台からやがては破れた畳《たたみ》までを浸《ひた》してしまう。雨が霽《は》れると水に濡れた家具や夜具《やぐ》蒲団《ふとん》を初め、何とも知れぬ汚《きたな》らしい襤褸《ぼろ》の数々は旗か幟《のぼり》のように両岸の屋根や窓の上に曝《さら》し出される。そして真黒な裸体の男や、腰巻一つの汚い女房や、または子供を背負った児娘《こむすめ》までが笊《ざる》や籠や桶《おけ》を持って濁流の中《うち》に入りつ乱れつ富裕な屋敷の池から流れて来る雑魚《ざこ》を捕えようと急《あせ》っている有様、通りがかりの橋の上から眺めやると、雨あがりの晴れた空と日光の下《もと》に、或時はかえって一種の壮観を呈している事がある。かかる揚合に看取せられる壮観は、丁度軍隊の整列もしくは舞台における並大名《ならびだいみょう》を見る時と同様で一つ一つに離して見れば極めて平凡なものも集合して一団をなす時には、此処《ここ》に思いがけない美麗と威
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