つくして、馬の尻から馬糞《ばふん》の落ちるのを待っている。私はこれらの光景に接すると、必《かならず》北斎あるいはミレエを連想して深刻なる絵画的写実の感興を誘《いざな》い出され、自《みずか》ら絵事《かいじ》の心得なき事を悲しむのである。
以上|河流《かりゅう》と運河の外なお東京の水の美に関しては処々の下水が落合って次第に川の如き流をなす溝川《みぞかわ》の光景を尋ねて見なければならない。東京の溝川には折々|可笑《おか》しいほど事実と相違した美しい名がつけられてある。例えば芝愛宕下《しばあたごした》なる青松寺《せいしょうじ》の前を流れる下水を昔から桜川《さくらがわ》と呼びまた今日では全く埋尽《うずめつく》された神田|鍛冶町《かじちょう》の下水を逢初川《あいそめがわ》、橋場総泉寺《はしばそうせんじ》の裏手から真崎《まっさき》へ出る溝川を思川《おもいがわ》、また小石川金剛寺坂下《こいしかわこんごうじざかした》の下水を人参川《にんじんがわ》と呼ぶ類《たぐい》である。江戸時代にあってはこれらの溝川も寺院の門前や大名屋敷の塀外《へいそと》なぞ、幾分か人の目につく場所を流れていたような事から、土地の
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