予想する事はできない。今日までわれわれが年久しく見馴れて来た品川の海は僅《わずか》に房州通《ぼうしゅうがよい》の蒸汽船と円《まる》ッこい達磨船《だるません》を曳動《ひきうごか》す曳船の往来する外《ほか》、東京なる大都会の繁栄とは直接にさしたる関係もない泥海《どろうみ》である。潮《しお》の引く時|泥土《でいど》は目のとどく限り引続いて、岸近くには古下駄に炭俵《すみだわら》、さては皿小鉢や椀のかけらに船虫《ふなむし》のうようよと這寄《はいよ》るばかり。この汚い溝《どぶ》のような沼地を掘返しながら折々は沙蚕《ごかい》取りが手桶《ておけ》を下げて沙蚕を取っている事がある。遠くの沖には彼方《かなた》此方《こなた》に澪《みお》や粗朶《そだ》が突立《つった》っているが、これさえ岸より眺むれば塵芥《ちりあくた》かと思われ、その間《あいだ》に泛《うか》ぶ牡蠣舟《かきぶね》や苔取《のりとり》の小舟《こぶね》も今は唯|強《し》いて江戸の昔を追回《ついかい》しようとする人の眼にのみ聊《いささ》かの風趣を覚えさせるばかりである。かく現代の首府に対しては実用にも装飾にも何にもならぬこの無用なる品川湾の眺望は、彼《
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