もは》や現代のわれわれには昔の人が船宿《ふなやど》の桟橋《さんばし》から猪牙船《ちょきぶね》に乗って山谷《さんや》に通い柳島《やなぎしま》に遊び深川《ふかがわ》に戯《たわむ》れたような風流を許さず、また釣や網の娯楽をも与えなくなった。今日の隅田川は巴里《パリー》におけるセーヌ河の如き美麗なる感情を催さしめず、また紐育《ニューヨーク》のホドソン、倫敦《ロンドン》のテエムスに対するが如く偉大なる富国《ふこく》の壮観をも想像させない。東京市の河流はその江湾なる品川《しながわ》の入海《いりうみ》と共に、さして美しくもなく大きくもなくまたさほどに繁華でもなく、誠に何方《どっち》つかずの極めてつまらない景色をなすに過ぎない。しかしそれにもかかわらず東京市中の散歩において、今日なお比較的興味あるものはやはり水流れ船動き橋かかる処の景色である。
 東京の水を論ずるに当ってまずこれを区別して見るに、第一は品川の海湾、第二は隅田川|中川《なかがわ》六郷川《ろくごうがわ》の如き天然の河流、第三は小石川の江戸川、神田の神田川、王子の音無川《おとなしがわ》の如き細流《さいりゅう》、第四は本所深川日本橋|京橋《き
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