の停車《ていしゃば》場旅館|官衙《かんが》学校|等《とう》は、その建築の体裁も出来得る限りその市街の生命たる古社寺の風致と歴史とを傷《きずつ》けぬよう、常に慎重なる注意を払うべき必要があった。しかるに近年見る所の京都の道路家屋|並《ならび》に橋梁の改築工事の如きは全く吾人《ごじん》の意表に出《い》でたものである。日本いかに貧国たりとも京都奈良の二旧都をそのままに保存せしめたりとて、もしそれだけの埋合せとして新領土の開拓に努むる処あらば、一国全体の商工業より見て、さしたる損害を来す訳でもあるまい。眼前の利にのみ齷齪《あくせく》して世界に二つとない自国の宝の値踏《ねぶみ》をする暇《いとま》さえないとは、あまりに小国人《しょうこくじん》の面目を活躍させ過ぎた話である。思わず畠違いへ例の口癖とはいいながら愚痴が廻り過ぎた。世の中はどうでも勝手に棕梠箒《しゅろぼうき》。私は自分勝手に唯一人|日和下駄《ひよりげた》を曳《ひ》きずりながら黙って裏町を歩いていればよかったのだ。議論はよそう。皆様が御退屈だから。
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     第六 水 附渡船

 仏蘭西人《フランスじん》エミル・マンユの
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