。これ既にゴンスやミジヨンの如き日本美術の研究者また旅行者の論ずるが如く、日本寺院の西洋と異《こと》なる所以《ゆえん》である。西洋の寺院は大抵単独に路傍《ろぼう》に屹立《きつりつ》しているのみであるが、日本の寺院に至っては如何なる小さな寺といえども皆《みな》門を控えている。芝増上寺《しばぞうじょうじ》の楼門《ろうもん》をしてかくの如く立派に見せようがためにはその門前なる広い松原が是非とも必要になって来るであろう。麹町日枝神社《こうじまちひえじんじゃ》の山門《さんもん》の甚だ幽邃《ゆうすい》なる理由を知らんには、その周囲なる杉の木立のみならず、前に控えた高い石段の有無《うむ》をも考えねばなるまい。日本の神社と寺院とはその建築と地勢と樹木との寔《まこと》に複雑なる綜合美術である。されば境内の老樹にしてもしその一株《いっしゅ》を枯死《こし》せしむれば、全体より見て容易に修繕しがたき破損を来《きた》さしめた訳である。私はこの論法により更に一歩を進めて京都奈良の如き市街は、その貴重なる古社寺の美術的効果に対して広く市街全体をもその境内に同じきものとして取扱わねばならぬと思っている。即ちかかる市街
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