滅し、徒《いたずら》に覚醒と反抗の新空気に触れるに至ったならば、私はその時こそ真に下層社会の悲惨な生活が開始せられるのだ。そして政治家と新聞記者とが十分に私欲を満す時が来るのだと信じている。いつの世にか弱いものの利を得た時代があろう。弱い者が自《みずか》らその弱い事を忘れ軽々しく浮薄なる時代の声に誘惑されようとするのは、誠に外《よそ》の見る目も痛ましい限りといわねばならぬ。
私は敢て自分一家の趣味ばかりのために、古寺《ふるでら》と荒れた墓場とその附近なる裏屋の貧しい光景とを喜ぶのではない。江戸専制時代の迷信と無智とを伝承した彼らが生活の外形に接して直ちにこれを我が精神修養の一助になさんと欲するのである。実際私は下谷浅草本所深川あたりの古寺の多い溝際《どぶぎわ》の町を通る度々、見るもの聞くものから幾多の教訓と感慨とを授《さず》けられるか知れない。私は日進月歩する近世医学の効験《こうけん》を信じないのでは決してない。電気治療もラヂウム鉱泉の力をもあながち信用しないのではない。しかし私はここに不衛生なる裏町に住んでいる果敢ない人たちが今なお迷信と煎薬《せんじぐすり》とにその生命《せいめい》
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