を托しこの世を夢と簡単にあきらめをつけている事を思えば、私は医学の進歩しなかった時代の人々の病苦災難に対する態度の泰然たると、その生活の簡易なるとに対して深く敬慕の念なきを得ない。およそ近世人の喜び迎えて「便利」と呼ぶものほど意味なきものはない。東京の書生がアメリカ人の如く万年筆を便利として使用し始めて以来文学に科学にどれほどの進歩が見られたであろう。電車と自動車とは東京市民をして能《よ》く時間の節倹を実施させているのであろうか。
 私はかように好んで下町《したまち》の寺とその附近の裏町を尋ねて歩くと共にまた山の手の坂道に臨んだ寺をも決して閑却しない。山の手の坂道はしばしばその麓《ふもと》に聳え立つ寺院の屋根樹木と相俟《あいま》って一幅の好画図《こうがと》をつくることがある。私は寺の屋根を眺めるほど愉快なことはない。怪異なる鬼瓦《おにがわら》を起点として奔流の如く傾斜する寺院の瓦屋根はこれを下から打仰《うちあお》ぐ時も、あるいはこれを上から見下《みおろ》す時も共に言うべからざる爽快の感を催《もよお》させる。近来日本人は土木の工《こう》を起すごとに力《つと》めて欧米各国の建築を模倣せんと
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