やか》している。一箇所大きい寺のあるあたりには塔中《たっちゅう》また寺中《じちゅう》と呼ばれて小さい寺が幾軒も続いている。そして町の名さえ寺町《てらまち》といわれた処は下谷《したや》浅草《あさくさ》牛込《うしごめ》四谷《よつや》芝《しば》を始め各区に渡ってこれを見出すことが出来る。私は目的《めあて》なく散歩する中《うち》おのずからこの寺の多い町の方へとのみ日和下駄《ひよりげた》を曳摺《ひきず》って行く。
 上野寛永寺《うえのかんえいじ》の楼閣は早く兵火に罹《かか》り芝増上寺《しばぞうじょうじ》の本堂も祝融《しゅくゆう》の災《わざわい》に遭《あ》う事再三。谷中天王寺《やなかてんのうじ》は僅《わずか》に傾ける五重塔に往時《おうじ》の名残《なごり》を留《とど》むるばかり。本所羅漢寺《ほんじょらかんじ》の螺堂《さざえどう》も既に頽廃し内《なか》なる五百の羅漢のみ幸に移されてその大半を今や郊外|目黒《めぐろ》の一寺院に見る。かくては今日東京市中の寺院にして輪奐《りんかん》の美|人目《じんもく》を眩惑せしむるものは僅に浅草の観音堂《かんのんどう》音羽護国寺《おとわごこくじ》の山門《さんもん》その他
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