ある。現代官僚の教育は常に孔孟《こうもう》の教を尊び忠孝仁義の道を説くと聞いているが、お茶の水を過《すぎ》る度々「仰高《ぎょうこう》」の二字を掲げた大成殿《たいせいでん》の表門を仰げば、瓦は落ちたるままに雑草も除かず風雨の破壊するがままに任せてある。しかして世人の更にこれを怪しまざるが如きに至っては、われらは唯|唖然《あぜん》たるより外《ほか》はない。
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     第五 寺

 杖《つえ》のかわりの蝙蝠傘《こうもりがさ》と共に私が市中《しちゅう》散歩の道しるべとなる昔の江戸切絵図《えどきりえず》を開き見れば江戸中には東西南北到る処に夥《おびただ》しく寺院神社の散在していた事がわかる。江戸の都会より諸侯の館邸と武家《ぶけ》の屋敷と神社仏閣を除いたなら残る処の面積は殆どない位《くらい》であろう。明治初年神仏の区別を分明《ぶんめい》にして以来殊には近年に至って市区改正のため仏寺の取払いとなったものは尠《すくな》くない。それにもかかわらず寺院は今なお市中|何処《いずこ》という限りもなく、あるいは坂の上|崖《がけ》の下、川のほとり橋の際《きわ》、到る処にその門と堂の屋根を聳《そび
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