して去るに忍びざるほど美麗なもしくは荘厳な風景建築に出遇《であ》わぬかぎり、いろいろと無理な方法を取りこれによって纔《わずか》に幾分の興味を作出《つくりだ》さねばならぬ。然《しか》らざれば如何に無聊《ぶりょう》なる閑人《かんじん》の身にも現今の束京は全く散歩に堪《た》えざる都会ではないか。西洋文学から得た輸入思想を便《たよ》りにして、例えば銀座の角《かど》のライオンを以て直ちに巴里《パリー》のカッフェーに擬《ぎ》し帝国劇場を以てオペラになぞらえるなぞ、むやみやたらに東京中を西洋風に空想するのも或人にはあるいは有益にして興味ある方法かも知れぬ。しかし現代日本の西洋式|偽文明《ぎぶんめい》が森永の西洋菓子の如く女優のダンスの如く無味拙劣なるものと感じられる輩《ともがら》に対しては、東京なる都会の興味は勢《いきおい》尚古的《しょうこてき》退歩的たらざるを得ない。われわれは市《いち》ヶ|谷《や》外濠《そとぼり》の埋立工事を見て、いかにするとも将来の新美観を予測することの出来ない限り、愛惜《あいせき》の情《じょう》は自ら人をしてこの堀に藕花《ぐうか》の馥郁《ふくいく》とした昔を思わしめる。
私
前へ
次へ
全139ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング