処には自由に桜の花を描き柳原《やなぎわら》の如く柳ある処には柳の糸を添え得るのみならず、また飛鳥山《あすかやま》より遠く日光《にっこう》筑波《つくば》の山々を見ることを得れば直《ただち》にこれを雲の彼方《かなた》に描示《えがきしめ》すが如く、臨機応変に全く相反せる製図の方式態度を併用して興味|津々《しんしん》よく平易にその要領を会得せしめている。この点よりして不正確なる江戸絵図は正確なる東京の新地図よりも遥《はるか》に直感的また印象的の方法に出でたものと見ねばならぬ。現代西洋風の制度は政治法律教育万般のこと尽《ことごと》くこれに等しい。現代の裁判制度は東京地図の煩雑なるが如く大岡越前守《おおおかえちぜんのかみ》の眼力《がんりき》は江戸絵図の如し。更に語《ご》を換《か》ゆれば東京地図は幾何学の如く江戸絵図は模様のようである。
江戸絵図はかくて日和下駄蝙蝠傘と共に私の散歩には是非ともなくてはならぬ伴侶《はんりょ》となった。江戸絵図によって見知らぬ裏町を歩《あゆ》み行けば身は自《おのずか》らその時代にあるが如き心持となる。実際現在の東京|中《じゅう》には何処《いずこ》に行くとも心より恍惚と
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