たが、その裏通《うらどおり》なる小流《こながれ》に今なおその名を残す根来橋《ねごろばし》という名前なぞから、これを江戸切図に引合せて、私は歩きながらこの辺《へん》に根来組同心《ねごろぐみどうしん》の屋敷のあった事を知る時なぞ、歴史上の大発見でもしたように訳もなくむやみと嬉しくなるのである。かような馬鹿馬鹿しい無益な興味の外《ほか》に、また一ツ昔の地図の便利な事は雪月花《せつげつか》の名所や神社仏閣の位置をば殊更目につきやすいように色摺《いろずり》にしてあるのみならず時としては案内記のようにこの処より何々まで凡幾町《およそいくちょう》植木屋多しなぞと説明が加えてある事である。凡そ東京の地図にして精密正確なるは陸地測量部の地図に優《まさ》るものはなかろう。しかしこれを眺めても何らの興味も起らず、風景の如何《いかん》をも更に想像する事が出来ない。土地の高低を示す蚰蜒《げじげじ》の足のような符号と、何万分の一とか何とかいう尺度一点張《ものさしいってんばり》の正確と精密とはかえって当意即妙の自由を失い見る人をして唯《ただ》煩雑の思をなさしめるばかりである。見よ不正確なる江戸絵図は上野の如く桜咲く
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