見る如き色彩の眩惑を覚ゆる。けだし水の流に柳の糸のなびきゆらめくほど心地よきはない。東都|柳原《やなぎわら》の土手には神田川の流に臨んで、筋違《すじかい》の見附《みつけ》から浅草《あさくさ》見附に至るまで※[#「參+毛」、第3水準1−86−45]々《さんさん》として柳が生茂《おいしげ》っていたが、東京に改められると間もなく堤は取崩されて今見る如き赤煉瓦の長屋に変ってしまった。[#ここから割り注]土手を取崩したのは『武江年表』によれば明治四年四月またここに供長家を立てたのは明治十二、三年頃である。[#ここで割り注終わり]
柳橋《やなぎばし》に柳なきは既に柳北《りゅうほく》先生『柳橋新誌《りゅうきょうしんし》』に「橋以[#レ]柳為[#レ]名而不[#レ]植[#二]一株之柳[#一]〔橋《はし》は柳《やなぎ》を以《もっ》て名《な》と為《な》すに、一株《いっしゅ》の柳《やなぎ》も植《う》えず〕」とある。しかして両国橋《りょうごくばし》よりやや川下の溝《みぞ》に小橋あって元柳橋《もとやなぎばし》といわれここに一樹の老柳《ろうりゅう》ありしは柳北先生の同書にも見えまた小林清親翁《こばやしきよちかおう
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