しくもなくなった。しかし目に見る青葉のみに至っては、毎年《まいねん》花ちる後《のち》の新暦五月となれば、下町《したまち》の川のほとりにも、山の手の坂の上にも、市中《しちゅう》到る処その色の美しさにわれらは東京なる都市に対して始めて江戸伝来の固有なる快感を催し得るのである。
 東京に住む人、試《こころみ》に初めて袷《あわせ》を着たその日の朝といわず、昼といわず、また夕暮といわず、外出《そとで》の折の道すがら、九段《くだん》の坂上、神田《かんだ》の明神《みょうじん》、湯島《ゆしま》の天神《てんじん》、または芝の愛宕山《あたごやま》なぞ、随処の高台に登って市中を見渡したまえ。輝く初夏《しょか》の空の下《した》、際限なくつづく瓦屋根の間々《あいだあいだ》に、あるいは銀杏《いちょう》、あるいは椎《しい》、樫《かし》、柳なぞ、いずれも新緑の色|鮮《あざやか》なる梢《こずえ》に、日の光の麗《うるわ》しく照添《てりそ》うさまを見たならば、東京の都市は模倣の西洋|造《づくり》と電線と銅像とのためにいかほど醜くされても、まだまだ全く捨てたものでもない。東京にはどこといって口にはいえぬが、やはり何となく東京
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