い渡世《とせい》をしている年寄を見ると同情と悲哀とに加えてまた尊敬の念を禁じ得ない。同時にこういう家《うち》の一人娘は今頃|周旋屋《しゅうせんや》の餌《えば》になってどこぞで芸者でもしていはせぬかと、そんな事に思到《おもいいた》ると相も変らず日本固有の忠孝の思想と人身売買の習慣との関係やら、つづいてその結果の現代社会に及ぼす影響なぞについていろいろ込み入った考えに沈められる。
 ついこの間も麻布網代町辺《あざぶあみしろちょうへん》の裏町を通った時、私は活動写真や国技館や寄席《よせ》なぞのビラが崖地《がけち》の上から吹いて来る夏の風に飜《ひるがえ》っている氷屋の店先《みせさき》、表から一目に見通される奥の間で十五、六になる娘が清元《きよもと》をさらっているのを見て、いつものようにそっと歩《あゆみ》を止《と》めた。私は不健全な江戸の音曲《おんぎょく》というものが、今日の世にその命脈を保っている事を訝《いぶか》しく思うのみならず、今もってその哀調がどうしてかくも私の心を刺戟するかを不思議に感じなければならなかった。何気なく裏町を通りかかって小娘の弾《ひ》く三味線《しゃみせん》に感動するようで
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