だち》に移して代々木《よよぎ》青山《あおやま》の練兵場または高田《たかた》の馬場《ばば》等に応用する事が出来る。晩秋の夕陽《ゆうひ》を浴びつつ高田の馬場なる黄葉《こうよう》の林に彷徨《さまよ》い、あるいは晴れたる冬の朝青山の原頭《げんとう》に雪の富士を望むが如きは、これ皆俗中の俗たる陸軍の賜物《たまもの》ではないか。
 私は慶応義塾に通う電車の道すがら、信濃町権田原《しなのまちごんだわら》を経《へ》、青山の大通を横切って三聯隊裏《さんれんたいうら》と記《しる》した赤い棒の立っている辺《あた》りまで、その沿道の大きな建物は尽《ことごと》く陸軍に属するもの、また電車の乗客街上の通行人は兵卒ならざれば士官ばかりという有様に、私はいつも世を挙《あげ》て悉く陸軍たるが如き感を深くする。それと共に権田原の林に初夏の新緑を望み、三聯隊裏と青山墓地との間の土手や草原に春は若草、秋は芒《すすき》の穂を眺めて、秋骨君のいわゆる応報の説に同感するのである。
 四谷《よつや》鮫《さめ》ヶ|橋《ばし》と赤坂離宮《あかさかりきゅう》との間に甲武鉄道《こうぶてつどう》の線路を堺《さかい》にして荒草《こうそう》萋々《
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