きもなつかしくこゝにその題をうつして夷歌《いか》によみつゞけぬるもそのかみ大黒屋《だいこくや》ときこえし高《たか》どのには母の六十の賀の莚《むしろ》をひらきし事ありしも又|天明《てんめい》のむかしなればせき口《ぐち》の紙の漉《すき》かへし目白の滝のいとのくりことになんありける
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鶉山桜花
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昔みし田鼠《むぐら》うづらの山ざくら化《け》しての後《のち》は花もちらほら
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城門緑樹
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※[#「魚+肅」、第3水準1−94−51]《しゃちほこ》の魚《うお》木にのぼる青葉山わたりやぐらの牛込《うしごめ》の門《もん》
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渓辺流蛍
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何がしの大あたまにも似たるかなかまくら道《みち》に出戸《でと》の蛍《ほたる》は
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※[#「禾+陸のつくり」、第4水準2−82−89]田落月
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しら露のむすべる霜のをくてよりわせ田《だ》にはやく落《おつ》る月影
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平田香稲
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平《たいら》かな水田《みずた》もことし代《よ》がよくてふねのほにほがさくかとぞみる
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寺前紅楓
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てらまへて酒のませんともみぢ見《み》の地口《じぐち》まじりの顔の夕《ゆう》ばへ
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月中望嶽
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八葉《はちよう》の芙蓉《ふよう》の花を一りんのかつらの枝《えだ》にさかせてぞみる
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江村飛雪
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酒かひにゆきの中里《なかざと》ひとすぢにおもひ入江《いりえ》の江戸川《えどがわ》の末《すえ》
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長谷梵宇
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明王《みょうおう》のふるきをもつてあたらしきにゐはせ寺《でら》の法師《ほうし》たるべし
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赤城霞色
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朝夕《あさゆう》のかすみのいろも赤城《あかぎ》やまそなたのかたにむかでしらるゝ
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高田叢祠
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みあかしの高田《たかた》のかたにひかりまち穴八幡《あなはちまん》か水《みず》いなりかも
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済松鐘磬
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済松寺《さいしょうじ》祖心《そしん》の尼《あま》の若かりしむかしつけたるかねの声々《こえごえ》
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田間一路
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横にゆく蟹川《かにがわ》こえて真直《まっすぐ》に通る門田《かどた》の中《なか》ぜきの道
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巌畔酒※[#「土へん+盧」、第3水準1−15−68]
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杉のはのたてる門辺《かどべ》に目白おし羽觴《うしょう》を飛《とば》す岸の上《へ》の茶《ちゃ》や
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堰口水碓
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水車《みずぐるま》くる/\めぐりあふことは人目つゝみのせき口《ぐち》もなし
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 去年の暮|巌谷四六《いわやしろく》君[#ここから割り注]小波先生令弟[#ここで割り注終わり]と図《はか》らず木曜会忘年会の席上に邂逅《かいこう》した時談話はたまたまわが『日和下駄《ひよりげた》』の事に及んだ。四六君は麹町《こうじまち》平川町《ひらかわちょう》から永田町《ながたちょう》の裏通へと上《のぼ》る処に以前は実に幽邃《ゆうすい》な崖があったと話された。小波《さざなみ》先生も四六君も共々《ともども》その頃は永田町なる故|一六《いちろく》先生の邸宅にまだ部屋住《へやずみ》の身であったのだ。丁度その時分私も一時父の住まった官舎がこの近くにあったので、憲法発布当時の淋しい麹町の昔をいろいろと追想する事ができる。一年ほど父の住《すま》っておられた某省の官宅もその庭先がやはり急な崖になっていて、物凄いばかりの竹藪《たけやぶ》であった。この竹藪には蟾蜍《ひきがえる》のいた事これまた気味悪いほどで、夏の夕《ゆうべ》まだ夜にならない中から、何十匹となく這《は》い出して来る蟾蜍に庭先は一面|大《おおき》な転太石《ごろたいし》でも敷詰めたような有様になる。この庭先の崖と相対しては、一筋の細い裏通を隔てて独逸《ドイツ》公使館の立っている高台の背後《うしろ》がやはり樹木の茂った崖になっていた。私は寒い冬の夜《よ》なぞ、日本伝来の迷信に養われた子供心に、われにもあらず幽霊や何かの事を考え出して一生懸命に痩我慢《やせがまん》しつつ真暗《まっくら》な廊下を独り厠《かわや》へ行く時、その破れた窓の障子から向《むこう》の崖なる木立《こだち》の奥深く、巍然《ぎぜん》たる西洋館の窓々に燈火の煌々《こうこう》と輝くのを見、同時にピアノの音《
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