滅し、徒《いたずら》に覚醒と反抗の新空気に触れるに至ったならば、私はその時こそ真に下層社会の悲惨な生活が開始せられるのだ。そして政治家と新聞記者とが十分に私欲を満す時が来るのだと信じている。いつの世にか弱いものの利を得た時代があろう。弱い者が自《みずか》らその弱い事を忘れ軽々しく浮薄なる時代の声に誘惑されようとするのは、誠に外《よそ》の見る目も痛ましい限りといわねばならぬ。
私は敢て自分一家の趣味ばかりのために、古寺《ふるでら》と荒れた墓場とその附近なる裏屋の貧しい光景とを喜ぶのではない。江戸専制時代の迷信と無智とを伝承した彼らが生活の外形に接して直ちにこれを我が精神修養の一助になさんと欲するのである。実際私は下谷浅草本所深川あたりの古寺の多い溝際《どぶぎわ》の町を通る度々、見るもの聞くものから幾多の教訓と感慨とを授《さず》けられるか知れない。私は日進月歩する近世医学の効験《こうけん》を信じないのでは決してない。電気治療もラヂウム鉱泉の力をもあながち信用しないのではない。しかし私はここに不衛生なる裏町に住んでいる果敢ない人たちが今なお迷信と煎薬《せんじぐすり》とにその生命《せいめい》を托しこの世を夢と簡単にあきらめをつけている事を思えば、私は医学の進歩しなかった時代の人々の病苦災難に対する態度の泰然たると、その生活の簡易なるとに対して深く敬慕の念なきを得ない。およそ近世人の喜び迎えて「便利」と呼ぶものほど意味なきものはない。東京の書生がアメリカ人の如く万年筆を便利として使用し始めて以来文学に科学にどれほどの進歩が見られたであろう。電車と自動車とは東京市民をして能《よ》く時間の節倹を実施させているのであろうか。
私はかように好んで下町《したまち》の寺とその附近の裏町を尋ねて歩くと共にまた山の手の坂道に臨んだ寺をも決して閑却しない。山の手の坂道はしばしばその麓《ふもと》に聳え立つ寺院の屋根樹木と相俟《あいま》って一幅の好画図《こうがと》をつくることがある。私は寺の屋根を眺めるほど愉快なことはない。怪異なる鬼瓦《おにがわら》を起点として奔流の如く傾斜する寺院の瓦屋根はこれを下から打仰《うちあお》ぐ時も、あるいはこれを上から見下《みおろ》す時も共に言うべからざる爽快の感を催《もよお》させる。近来日本人は土木の工《こう》を起すごとに力《つと》めて欧米各国の建築を模倣せんと
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