りもかえって高く見える間からふと彼方《かなた》に巍然《ぎぜん》として聳《そび》ゆる寺院の屋根を望み見る時、しばしば黙阿弥《もくあみ》劇中の背景を想い起すのである。
かくの如き溝泥臭《どぶどろくさ》い堀割と腐《くさ》った木の橋と肥料船や芥船《ごみぶね》や棟割長屋《むねわりながや》なぞから成立つ陰惨な光景中に寺院の屋根を望み木魚《もくぎょ》と鐘とを聞く情趣《おもむき》は、本所と深川のみならず浅草|下谷辺《したやへん》においてもまた変る処がない。私は今近世の社会問題からは全く隔離して仮に単独な絵画的詩興の上からのみかかる貧しい町の光景を見る時、東京の貧民窟には竜動《ロンドン》や紐育《ニューヨーク》において見るが如き西洋の貧民窟に比較して、同じ悲惨な中《うち》にも何処《どこ》となくいうべからざる静寂の気が潜《ひそ》んでいるように思われる。尤《もっと》も深川小名木川《ふかがわおなぎがわ》から猿江《さるえ》あたりの工場町《こうじょうまち》は、工場の建築と無数の煙筒《えんとう》から吐く煤烟と絶間なき機械の震動とによりて、やや西洋風なる余裕なき悲惨なる光景を呈し来《きた》ったが、今|然《しか》らざる他《た》の場所の貧しい町を窺うに、場末の路地や裏長屋には仏教的迷信を背景にして江戸時代から伝襲し来《きた》ったそのままなる日蔭の生活がある。怠惰にして無責任なる愚民の疲労せる物哀れな忍従の生活がある。近来一部の政治家と新聞記者とは各自党派の勢力を張らんがために、これらの裏長屋にまで人権問題の福音《ふくいん》を強《し》いようと急《あせ》り立っている。さればやがて数年の後《のち》には法華《ほっけ》の団扇太鼓《うちわだいこ》や百万遍《ひゃくまんべん》の声全く歇《や》み路地裏の水道|共用栓《きょうようせん》の周囲《まわり》からは人権問題と労働問題の喧《かしま》しい演説が聞かれるに違いない。しかし幸か不幸かいまだ全く文明化せられざる今日においてはかかる裏長屋の路地内《ろじうち》には時として巫女《いちこ》が梓弓《あずさゆみ》の歌も聞かれる。清元《きよもと》も聞かれる。盂蘭盆《うらぼん》の燈籠《とうろう》や果敢《はか》ない迎火《むかいび》の烟《けむり》も見られる。彼らが江戸の専制時代から遺伝し来ったかくの如き果敢《はか》ない裏淋しい諦《あきら》めの精神修養が漸次《ぜんじ》新時代の教育その他のために消
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