《しばひかげちょう》に鯖《さば》をあげるお稲荷様があるかと思えば駒込《こまごめ》には炮烙《ほうろく》をあげる炮烙地蔵というのがある。頭痛を祈ってそれが癒《なお》れば御礼として炮烙をお地蔵様の頭の上に載せるのである。御厩河岸《おうまやがし》の榧寺《かやでら》には虫歯に効験《しるし》のある飴嘗《あめなめ》地蔵があり、金竜山《きんりゅうざん》の境内《けいだい》には塩をあげる塩地蔵というのがある。小石川富坂《こいしかわとみざか》の源覚寺《げんかくじ》にあるお閻魔様《えんまさま》には蒟蒻《こんにゃく》をあげ、大久保百人町《おおくぼひゃくにんまち》の鬼王様《きおうさま》には湿瘡《しつ》のお礼に豆腐《とうふ》をあげる、向島《むこうじま》の弘福寺《こうふくじ》にある「石《いし》の媼様《ばあさま》」には子供の百日咳《ひゃくにちぜき》を祈って煎豆《いりまめ》を供《そな》えるとか聞いている。
 無邪気でそしてまたいかにも下賤《げす》ばったこれら愚民の習慣は、馬鹿囃子《ばかばやし》にひょっとこの踊または判《はん》じ物《もの》見たような奉納の絵馬の拙《つたな》い絵を見るのと同じようにいつも限りなく私の心を慰める。単に可笑《おか》しいというばかりではない。理窟にも議論にもならぬ馬鹿馬鹿しい処に、よく考えて見ると一種物哀れなような妙な心持のする処があるからである。
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     第三 樹

 目に青葉|山《やま》時鳥《ほととぎす》初鰹《はつがつお》。江戸なる過去の都会の最も美しい時節における情趣は簡単なるこの十七字にいい尽《つく》されている。北斎《ほくさい》及び広重《ひろしげ》らの江戸|名所絵《めいしょえ》に描《えが》かれた所、これを文字《もんじ》に代えたならば、即ちこの一句に尽きてしまうであろう。
 東京はその市内のみならず周囲の近郊まで日々《にちにち》開けて行くばかりであるが、しかし幸にも社寺の境内、私人《しじん》の邸宅、また崖地《がけち》や路《みち》のほとりに、まだまだ夥《おびただ》しく樹木を残している。今や工揚《こうじょう》の煤烟《ばいえん》と電車の響とに日本晴《にほんばれ》の空にも鳶《とんび》ヒョロヒョロの声|稀《まれ》に、雨あがりのふけた夜に月は出ても蜀魂《ほととぎす》はもう啼《な》かなくなった。初鰹の味《あじわい》とてもまた汽車と氷との便あるがために昔のようにさほど珍
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