える。私は後《うしろ》から勢《いきおい》よく襲い過ぎる自動車の響に狼狽して、表通《おもてどおり》から日の当らない裏道へと逃げ込み、そして人に後《おく》れてよろよろ歩み行く処に、わが一家《いっか》の興味と共に苦しみ、また得意と共に悲哀を見るのである。
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第二 淫祠
裏町を行こう、横道を歩もう。かくの如く私が好んで日和下駄《ひよりげた》をカラカラ鳴《なら》して行く裏通《うらどおり》にはきまって淫祠《いんし》がある。淫祠は昔から今に至るまで政府の庇護を受けたことはない。目こぼしでそのままに打捨てて置かれれば結構、ややともすれば取払われべきものである。それにもかかわらず淫祠は今なお東京市中数え尽されぬほど沢山ある。私は淫祠を好む。裏町の風景に或《ある》趣《おもむき》を添える上からいって淫祠は遥《はるか》に銅像以上の審美的価値があるからである。本所深川《ほんじょふかがわ》の堀割の橋際《はしぎわ》、麻布芝辺《あざぶしばへん》の極めて急な坂の下、あるいは繁華な町の倉の間、または寺の多い裏町の角なぞに立っている小さな祠《ほこら》やまた雨《あま》ざらしのままなる石地蔵《いしじぞう》には今もって必ず願掛《がんがけ》の絵馬《えま》や奉納の手拭《てぬぐい》、或時は線香なぞが上げてある。現代の教育はいかほど日本人を新しく狡猾《こうかつ》にしようと力《つと》めても今だに一部の愚昧《ぐまい》なる民の心を奪う事が出来ないのであった。路傍《ろぼう》の淫祠に祈願を籠《こ》め欠《か》けたお地蔵様の頸《くび》に涎掛《よだれかけ》をかけてあげる人たちは娘を芸者に売るかも知れぬ。義賊になるかも知れぬ。無尽《むじん》や富籤《とみくじ》の僥倖《ぎょうこう》のみを夢見ているかも知れぬ。しかし彼らは他人の私行を新聞に投書して復讐を企《くわだ》てたり、正義人道を名として金をゆすったり人を迫害したりするような文明の武器の使用法を知らない。
淫祠は大抵その縁起《えんぎ》とまたはその効験《こうけん》のあまりに荒唐無稽《こうとうむけい》な事から、何となく滑稽の趣を伴わすものである。
聖天様《しょうでんさま》には油揚《あぶらあげ》のお饅頭《まんじゅう》をあげ、大黒様《だいこくさま》には二股大根《ふたまただいこん》、お稲荷様《いなりさま》には油揚を献《あ》げるのは誰も皆知っている処である。芝日蔭町
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