る。
 かつては六尺町《ろくしゃくまち》の横町から流派《りゅうは》の紋所《もんどころ》をつけた柿色の包みを抱えて出て来た稽古通いの娘の姿を今は何処《いずこ》に求めようか。久堅町《ひさかたまち》から編笠《あみがさ》を冠《かぶ》って出て来る鳥追《とりおい》の三味線を何処に聞こうか。時代は変ったのだ。洗髪《あらいがみ》に黄楊《つげ》の櫛《くし》をさした若い職人の女房が松の湯とか小町湯とか書いた銭湯《せんとう》の暖簾《のれん》を掻分けて出た町の角には、でくでく[#「でくでく」に傍点]した女学生の群《むれ》が地方|訛《なま》りの嘆賞の声を放って活動写真の広告隊を見送っている。
 今になって、誰一人この辺鄙《へんぴ》な小石川の高台にもかつては一般の住民が踊の名人|坂東美津江《ばんどうみつえ》のいた事を土地の誇となしまた寄席《よせ》で曲弾《きょくびき》をしたため家元から破門された三味線の名人|常磐津金蔵《ときわずきんぞう》が同じく小石川の人であった事を尽きない語草《かたりぐさ》にしたような時代のあった事を知るものがあろう。現代の或批評家は私が芸術を愛するのは巴里《パリー》を見て来たためだと思っている
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