かも知れぬ。しかしそもそも私が巴里の芸術を愛し得たその Passion その Enthousiasme の根本の力を私に授《さず》けてくれたものは、仏蘭西《フランス》人が Sarah Bernhardt に対し伊太利亜《イタリヤ》人が Eleonora Duse に対するように、坂東美津江や常磐津金蔵を崇拝した当時の若衆《わかいしゅう》の溢れ漲《みなぎ》る熱情の感化に外ならない。哥沢節《うたざわぶし》を産んだ江戸衰亡期の唯美主義《ゆいびしゅぎ》は私をして二十世紀の象徴主義を味わしむるに余りある芸術的素質をつくってくれたのである。
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夕暮よりも薄暗い入梅の午後|牛天神《うしてんじん》の森蔭に紫陽花《あじさい》の咲出《さきいづ》る頃、または旅烏《たびがらす》の啼《な》き騒ぐ秋の夕方|沢蔵稲荷《たくぞういなり》の大榎《おおえのき》の止む間もなく落葉《おちば》する頃、私は散歩の杖を伝通院の門外なる大黒天《だいこくてん》の階《きざはし》に休めさせる。その度に堂内に安置された昔のままなる賓頭盧尊者《びんずるそんじゃ》の像を撫《な》ぜ、幼い頃この小石川の故里《ふるさと》で私が
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