の門附《かどづけ》になって「春雨」や「梅にも春」などを弾き出したがする中《うち》いつか姿を見せなくなった。私は家《うち》の女中が何処から聞いて来たものか、あの瞽女は目も見えないくせに男と密通《くっつ》いて子を孕《はら》んだのだと噂しているのを聞いた事がある。
 これも同じ縁日の夜《よ》に、一人相撲《ひとりずもう》というものを取って銭を乞う男があった。西、両国《りょうごく》、東、小柳《こやなぎ》と呼ぶ呼出し奴《やっこ》から行司《ぎょうじ》までを皆一人で勤め、それから西東の相撲の手を代り代りに使い分け、果《はて》は真裸体《まっぱだか》のままでズドンと土《どろ》の上に転《ころが》る。しかしこれは間もなく警察から裸体《はだか》になる事を禁じられて、それなり縁日には来なくなったらしい。

        *

 金剛寺坂《こんごうじざか》の笛熊《ふえくま》さんというのは、女髪結《おんなかみゆい》の亭主で大工の本職を放擲《うっちゃ》って馬鹿囃子《ばかばやし》の笛ばかり吹いている男であった。按摩《あんま》の休斎《きゅうさい》は盲目ではないが生付いての鳥目《とりめ》であった。三味線弾きになろうとしたが
前へ 次へ
全16ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
永井 荷風 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング