きにした爺さんの扇子がその鼻先へと差出されぬ中《うち》にばらばら逃げてしまう。すると爺さんは逃げ後《おく》れたまま立っている人たちへ面当《つらあて》がましく、「彼奴《あいつ》らア人間はお飯《まんま》喰わねえでも生きてるもんだと思っていやがらア。昼鳶《ひるとんび》の持逃《もちにげ》野郎奴。」なぞと当意即妙の毒舌を振って人々を笑わせるかと思うと罪のない子供が知らず知らずに前の方へ押出て来るのを、また何とかいって叱りつけ自分も可笑《おかし》そうに笑っては例の啖唾を吐くのであった。
 縁日の事からもう一人私の記憶に浮び出《いづ》るものは、富坂下《とみざかした》の菎蒻閻魔《こんにゃくえんま》の近所に住んでいたとかいう瞽女《ごぜ》である。物乞《ものごい》をするために急に三味線を弾《ひ》き初めたものと見えて、年は十五、六にもなるらしい大きな身体《ずうたい》をしながら、カンテラを点《とも》した薦《ござ》の上に坐って調子もカン処《どこ》も合わない「一ツとや」を一晩中休みなしに弾いていた。その様子が可笑しいというので、縁日を歩く人は大抵立止っては銭を投げてやった。二年三年とたつ中《うち》に瞽女は立派な専門
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