非常に癇《かん》が悪い。落話家《はなしか》の前座になって見たがやはり見込がないので、遂に按摩になったという経歴から、ちょっと踊もやる落話《おとしばなし》もする愛嬌者《あいきょうもの》であった。
般若《はんにゃ》の留《とめ》さんというのは背中一面に般若の文身《ほりもの》をしている若い大工の職人で、大タブサに結った髷《まげ》の月代《さかやき》をいつでも真青《まっさお》に剃っている凄いような美男子であった。その頃にはまだ髷に結っている人も大分残ってはいたが、しかし大方は四十を越した老人《としより》ばかりなので、あの般若の留さんは音羽屋《おとわや》のやった六三《ろくさ》や佐七《さしち》のようなイキなイナセな昔の職人の最後の面影をば、私の眼に残してくれた忘れられない恩人である。
昔は水戸様から御扶持《ごふち》を頂いていた家柄だとかいう棟梁《とうりょう》の忰《せがれ》に思込まれて、浮名《うきな》を近所に唄《うた》われた風呂屋の女の何とやらいうのは、白浪物《しらなみもの》にでも出て来そうな旧時代の淫婦であった。江戸時代の遺風としてその当時の風呂屋には二階があって白粉《おしろい》を塗った女が入浴の
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