ィ更にもう一度あの悪戯書《いたずらがき》で塗り尽された部屋の壁、その窓下へ掘った金魚の池なぞあらゆる稚時《おさなどき》の古跡が尋ねて見たく、現在|其処《そこ》に住んでいる新しい主人の事を心憎く思わねばならなかった。
私の住んでいる時分から家は随分古かった。それ故、間もなく新しい主人は門の塀まで改築してしまった事を私は知っている。乃《すなわ》ち私の稚時の古跡はもう影も形もなくこの浮世からは湮滅《いんめつ》してしまったのだ……
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寺院と称する大きな美術の製作は偉大な力を以てその所在の土地に動しがたい或る特色を生ぜしめる。巴里《パリー》にノオトル・ダアムがある。浅草《あさくさ》に観音堂《かんのんどう》がある。それと同じように、私の生れた小石川をば(少くとも私の心だけには)あくまで小石川らしく思わせ、他の町からこの一区域を差別させるものはあの伝通院《でんずういん》である。滅びた江戸時代には芝の増上寺《ぞうじょうじ》、上野の寛永寺《かんえいじ》と相対して大江戸の三霊山と仰がれたあの伝通院である。
伝通院の古刹《こさつ》は地勢から見ても小石川という高台の絶頂でありまた中心点であろう。小石川の高台はその源を関口の滝に発する江戸川に南側の麓を洗わせ、水道端《すいどうばた》から登る幾筋の急な坂によって次第次第に伝通院の方へと高くなっている。東の方は本郷《ほんごう》と相対して富坂《とみざか》をひかえ、北は氷川《ひかわ》の森を望んで極楽水《ごくらくみず》へと下《くだ》って行き、西は丘陵の延長が鐘の音《ね》で名高い目白台《めじろだい》から、『忠臣蔵』で知らぬものはない高田《たかた》の馬場《ばば》へと続いている。
この地勢と同じように、私の幼い時の幸福なる記憶もこの伝通院の古刹を中心として、常にその周囲を離れぬのである。
諸君は私が伝通院の焼失を聞いていかなる絶望に沈められたかを想像せらるるであろう。外国から帰って来てまだ間もない頃の事確か十一月の曇った寒い日であった。ふと小石川の事を思出して、午後《ひるすぎ》に一人幾年間見なかった伝通院を尋《たずね》た事があった。近所の町は見違えるほど変っていたが古寺《ふるでら》の境内《けいだい》ばかりは昔のままに残されていた。私は所定めず切貼《きりばり》した本堂の古障子《ふるしょうじ》が欄干《らんかん》の腐った廊下に添うて
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