た腰掛の方へと歩み寄りながら、
「初めてお目にかゝつた其時からです。僕はあなたが好きで好きでたまらなくなつてしまつたのです。きのふ浅草でお目にかゝつた時は夢ぢやないかと思ひました。僕どうしても思つてる事をすつかりあなたに打明けてしまはなければ居られなくなつたのです。民子さん、御迷惑でも聞いて下さい。」と先へ腰をおろし引き据るやうに其傍に女を坐らせた。女は何とも言はず手を握られたまゝきちんと腰をかけ揃へた足先に視線を移した。
 一《ひ》トしきり静になつたあたりは絶えず下から上つて来る乗客で、見る見る中もとのやうに込み合つて来るばかりか、二人しか居ない腰掛のすいてゐるのを見て、二三人の男が大声で話をしながら腰をかけるが否や其一人が口に啣《くは》へた巻煙草にマツチの火をつけた。友田は握つた女の手を離すと共に、言ひかけた言葉を杜絶《とだや》した時、またしても電車が来て駐ると共にあたりの人達はざわめき立つて其方へと走り寄る。女も立上つて、
「では明日。またお目にかゝります。」
「では。左様なら。気をつけておいでなさい。」
 友田は後から静に立上り、構内の時計と電車の動き出すのを眺めながら、自分の
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