つて、
「民子さん。」と声をかけた。
「あら、友田さん。」と女は驚いて其場に立止つた。
「会社ぢや話ができませんからね、僕こゝでお待ちしてゐたんです。是非きいて頂きたい話があるのです。民子さん。きいて下さい。」
「どんな事でございます。」と民子は眼を見張つたが、あたりの人目を憚る様子で、立つたまゝ静に友田の顔を見返した。
友田は一歩進み寄り、わざとらしく声をひそめて、「僕あなたが初めて会社へお出でになつた時から、一目見て好きになつたのです。驚いちやいけませんよ。僕どうしても思ひ切れないんです。僕の言ふこと聞いて下さい。」
言ひながらいきなり友田はハンドバックを持つてゐる民子の手を握つた。
あたりには電車の来るのを待つ人達が並んで立つてゐる。一人の者もあれば三四人連立つて話をしたり笑つたりしてゐるものもあるので、それ等の人目を避けるためか、女は握られた手を振放さうともせず、その儘だまつて其の場に立つてゐた。
電車が来て駐《とま》ると共に其戸の明くのを遅しと、あたりの人達は争つて乗込むので、乗車場《プラツトフオーム》は俄にがらりとなる。友田は握つた女の手を放さず、後の壁際に作り付け
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