所をさがして置かうと、あまり人の歩いてゐない静な横町をあちこちと歩き廻つた。
さうした横町には幾軒も宿屋が目につく。いづれも表の店口に家名《いへな》と並べて、御一泊|御一人《おひとり》さまお食事付幾百円。御休息一時間何百円などゝ書き出してあるが、どうもさう云ふ処へは、男の身の自分さへ一寸這入りにくい気がするので、誘つても彼女はきつと厭だと云ふであらう。それなら食物屋《たべものや》で座敷のあるやうな静な家《うち》はないものかと歩き廻つてゐる中、いつか松竹座前の大通へ出てしまつたので、後戻りして別の方面へ出て見やうと、彼は知らず/\田原町近くの電車通に立止つてあたりを見廻してゐた。すると往来《ゆきき》の人の中からこそ/\と彼の傍に寄つて来た四十がらみの和服を来た男が、
「旦那。いかゞです。面白い処へ御案内しませう。旦那。」と話をしかけた。
「うむ。君。鳥渡《ちよつと》きゝたい事があるんだよ。」
「へえ、旦那。何でございます。」
「宿屋でなくッて、その、何だよ。食もの屋か何かで、具合のいゝ家《うち》さ。」
「へえ。」
「這入りいゝ家で……二人きりで話のできるやうな、静な家を知らないかね。」
「旦那。わかりました。御婦人とお二人づれ……。」
「さうだよ。今夜ぢやない。明日《あした》の午後《ひるすぎ》でいゝんだがね。」
「旦那。承知しました。お連込ならお誂向きと云ふ処が御在ます。」
「さうか。」
「お好焼《このみやき》をする家《うち》で御在ます。お婆さんと十二三になる小娘が一人、外には誰も居りません。」
「さうか。」
「三畳敷のお座敷が二間か三間ございますが、二階へお上りになると、床の間つきで、蒲団ぐらい敷かれるお座敷があります。」
「うむ。さうか。此処から遠いかね。」
「直ぐそこで御在ます。よろしければ御案内いたしませう。」
「何といふ家だか、名前も教へてくれないか。」と友田はそれとなくあたりに気を配りながら、百円札一枚を外套のかくしから取出して男に手渡しをした。
「旦那。すみません。表の店口は硝子戸を明けて這入るんで御在ますが、裏へ廻ると路次ですから誰にも知れッこは御在ません。」と小声に説明しながら、其男は先に立つて大通を向側へ越し、並んでゐる商店の間の小道に案内した。
翌日《あくるひ》の日曜日、友田は約束した時間に浅草橋駅の改札口まで出かけ、半《なかば》はどうかと危ぶみながら待つてゐると、さして多くもない乗客の後《あと》から、今日は和服にシヨールを纏つた彼女の下りて来る姿を見て、此の調子なら今日はいよ/\大丈夫だと思つた。
都電で雷門まで行き、此の前とは異《ちが》つた別の映画館に這入つて、矢張其日と同じ頃に外へ出るが否や、友田は「何か一口食べて行きませう。」と女の手をつかまへ、昨日調べて置いたお好焼の二階へ上り、女中代りの小娘が盆に載せた茶を置いて行くのを呼び留め親子丼を誂へた後、茶ぶ台の傍に坐つてゐる女の身近に寄添ふが否や、「民子さん。」と言ひさま抱き締めて否応言はさず接吻してしまつた。
「あら。あなた。」と女は驚いて立上らうとするのを、友田はかまはず力一ぱい抱きすくめて、
「許して下さい。いゝでせう。今日は。今日は。」と言ひながら身悶えする女を其場に押倒した。
かうなつてはどうする事もできないと見え、女は乱れた裾前もそのまゝ、
「あなた、乱暴ね。ひどいわ、ひどいわ。」それも小声で言ふばかり。
暫くして、女は肩から落ちさうになつた羽織の紐を結び直さうとした時、わざとらしく梯子段に足音をさせて、女中代りの小娘が親子丼を二ツ運んで来て、茶ぶ台の上に置き、「お茶只今。」と言ひながら下りて行つた。
「民子さん。僕今日は気が狂《ちが》つてるかも知れません。許して下さい。どうぞ許して下さい。」とまたしても抱き寄せやうとする始末。女も遂に覚悟をしたものか、そのまゝ寄り添つたなり静に割箸を取つて男に渡した。
小娘が茶を入れた小形の湯呑を二ツ持つて来る。
「静だけど下にはお客様があるのかね。」
「いゝえ。内のお客様は晩《おそ》う御在ますから、まだどなたもお見えになりません。」
「さうかね。」
「どうぞ御ゆるりなさつて。御用が御在ましたら、どうぞお手を。」
「ぢやもう暫く御邪魔するよ。」
「はい。どうぞ。」と小娘は何事も心得て居るらしく、わざとお客の顔を見ぬやうにして下りて行つた。
友田が手を鳴して再び小娘を呼び上げ、席料と食べ物の代価を払つたのは、かれこれ一時間近くも過ぎてからであつた。
この日を手始めに、友田は日曜日毎に民子をつれて来るやうになつたが、四五回目で丁度其の月も変る頃からぱつたり姿を見せぬやうになつた。
友田は突然会社の横浜支店に転任を命ぜられ、本郷の貸間を引揚げて其町へ移転した。
浅草で逢ひつゞけてゐる中か
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